溺れる寸前まで泳げば絶対に泳げる。
近くの川は天然プール
うちは、超がつく田舎であった。(まあ、今も超田舎の部類だが)
そのため、遊びといえば、自然の中で遊ぶしかなかったわけだ。
そんな田舎では、原始人になるしかない。
ならざるを得なかったと言ったほうが正しいな。
ワシがおそらく小学生になかったか、ならないかくらいの頃の話。
夏の遊び場は、ワシの家から歩いて5分ほどのところにある川であった。
当時、まだ泳ぎ方を知らなかったワシであったのだが、親父が泳ぎ方を教えてやると言って、その川に連れていかれた。
確か、まだ浮き輪をもって遊んでいたように記憶している。
突然、親父がワシの浮き輪を取り上げ、子供のワシを高々と持ち上げたかと思うと
次の瞬間!
ドボーーーン!!
とワシを川に放り投げた。
泳ぎ方を知らないワシは、当然アップアップの溺れる寸前。
必死にもがきながら、何とか親父のもとにだどり着く。
すると
またしても親父はワシを高々と持ち上げ、再び足の届かない深い場所へ
ドボーーーン!!
とワシを放り込む。
何じゃこりゃあ!今で言うところの幼児虐待ではないのかーー!
これが親父流、水泳教室。
あの頃は半泣きになりながら、バタバタして必死で親父のもとまで何とかたどり着いていたが、これが親父流の水泳教室だったのだ。
何度も放り出されて、たどり着くことを繰り返していると、自然に泳ぎになってくる。
そりゃあ、必死でたどり着こうとするから、段々とスピードも速くなる。
そんな原始人養成所で泳ぎ方を覚えたワシは、完全に我流ながらも、自在に泳げるようになるのである。
息継ぎや水のかき方等は、メチャクチャだったとは思うが、当時は河童のように川で泳げるようになったものだ。
そのおかげで
小学校5、6年生くらいの頃だったと思う。
夏休みの小学校では、プールが解放される。小学生だけでなく、近所の中学生も来ていた。
先生だったか、近所のおっちゃんだったかは定かではないが、大人が交代で監視員をしていた。
その監視員が即興の競泳大会みたいなやつを行ったときのことである。
中学生に混じって、ワシも参加した。
25mプールに6~7名がエントリーし、競争したのだ。
よーーい、スタートー!!
プールに飛び込み、ワシはがむしゃらに泳いだ。
息継ぎナシで25mを全力で泳ぎ、水面に顔を上げた時である。
監視員のおっちゃんが、
「おまえ、早いのーー!!」
と言ってびっくりしている。
プールを振り返ると、まだ皆、ゴールにたどり着いていなかった。
中学生にぶっちぎりで勝っていた!!
これも、親父流水泳教室、またの名を「原始人養成所」のおかげである。
田舎であったため
スイミングスクールや、小学校、中学校にも水泳部などはなかったので、本格的に水泳をすることはなかったが、泳ぎは得意であった。
この方法は、ワシの弟にも引き継がれ、弟も溺れながら泳ぎを覚えたのだ。(さすがに妹にはやらなかったように思うが・・・)
今??
今は・・・ワシ・・・
体型的に溺れるな・・・間違いない・・・。